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つくれる家具展、賀來寿史、インタビュー


顔を見たこともあるし、名前も、知ってる。

だけど、賀來さん って、何をしているひとなの、っていうひとは、きっと多いはず。そこで、yamamachi galleryでの展示会「つくれる家具展」に先立って、彼に逢って、話しをきいてきました。

木工家という既存の形では括ることのできない、賀來さんの頭のなか。何だか、ずーっと青春を追いかけている、アニキーって感じのひとです。特に、男子には、堪らないですよー。きっと、惚れますよー。とにかく、屈託がなくて、愛嬌があって、とても、素敵なひと。少し長いかもしれませんが、本文に眼を通していただいたうえで、彼がキュレーションを担当している、家具町ラボや、今回の「つくれる家具展」に足を運んでもらえたら嬉しいなァ、と想います。

interview + text / ryo kitada


きただ
まず、家具町工房における、賀來さんの立場について、教えてください。

かく
この工房は、トキハ産業という会社が運営をしていて、ぼくは、一応、チーフっていうことでやっています。今は、一緒に、工房の立ち上げと、ハウス・オブ・ツリーの仕組みづくりを、 外部委託を受託して、一緒にやっているっていう立場ですね。

きただ
ハウス・オブ・ツリー?

かく
販売店と、メーカーと、工房が連携しながら、家具を長く使ってもらおうとする仕組みのことです。家具って、本来、使い捨てるものじゃないと想うんですよね。本当に良い家具なら、メンテナンスさえ、きちんとしていたら、100年、200年と、使えるはずなんですよ。それで、これは、いま、準備中なんですけど、、、その仕組みを支えるひとつの柱として、つくる技術をもったひとが途絶えてしまったら循環が成り立たなくなってしまうので、ひとを育てていく仕組みも、つくらなあかんなァ、となって。それは、やっぱり、塾や、学校かな、と。近いうちに、テスト生のような形で、ひとを迎え入れたいと想っています。

きただ
賀來さん、個人の肩書きとしては、木工家になるんでしょうか。

かく
広い意味でいえば、ぼくは木工家だと想っているんですけどね。でも、木工家っていうのは、家具をつくって、売ってるひとのことをいうんや、っていわれたら、ぼくは、それもやってるし、これもやってるし、あれもやってるみたいなところがあるから、、、ある側面だけみれば、木工家みたいなところもあるんですけど、、、でも、とにかく、走りながら、色々してると、職人とか、作家とかっていう、枠のなかに納まりきらなくなってきて。木工家っていうものに対しても、一般的に認知されているイメージってありますよね。でも、それが、なんか、しっくりこないっていうかね。

きただ
木の工房KAKU」をやめた経緯にも、繋がっていく話しですね。

かく
まァ、正確には、やめてはないんですけどね。いわゆる、木工家的な、家具工房をやってたんですよ。家具の注文をいただいて、設計して、つくって、納品して、集金してっていう。でも、そもそも、ひとりでするっていうことに、ムリがあるわけですよね。事業ボリュームを考えると。それをひとりでやろうと息巻いて、しばらくやってたんですけど、、、このサイクルに矛盾があるというのか。自転車操業ででも、体力があったからできてたんですよね。とにかく、つくって、車に積んで、日本中、走りまわってっていう感じで。でも、これって、やり方がおかしいんちゃうかなァ、って。そのときに、ビジネスとして家具工房を続けるんやったら、少なくとも、3にんくらいの体制で、自分はマネージメントをして、つくるのは、ひとに任せてっていうことにしないと、これは続かないな、と。そんなふうに、頭のなかでは、判ってても、自分の欲望を突き詰めていくと、やっぱり、自分の手を動かしてたいな、というのがあったんですよね。

きただ
ジレンマですね。

かく
何で、家具工房をやってるかというと、自分が、十何年前に、この仕事をはじめようとしたときに、一般的に、この仕事をしているひとは、このようにしていたわけで、、、先駆者のみなさんの仕事を見て、憧れるわけですよね。医者になりたいとかっていうのは、医者がいるから、医者になりたい、と。それで、自分の場合は、家具工房をやってるひとがいたから、家具工房をやりたい、ってなって。でも、実際やってみたら、自分がやりたいことって、家具工房ちゃうやん、って。

今も昔も、家具工房っていうものって、ビジネスとして、ほとんどが、上手くいってないわけですよね。業界として、ムリが生じているわけですよ。そのなかで、生きていく方法はないものかな、と模索する中で、やっぱり、自分は、木工と関わって生きていこう、と想って。で、そうなってくると、枠というか、名前を、捨てないといかんのちゃうかなって。それで、なんとか工房っていうの、やめようと想って。そういう肩書きとか、体裁にこだわってるっていうのは、以前からの流れに縛られちゃってるから、それを断ち切らないといかんのちゃうかなァ、って。


きただ
今は、後生の育成にもあたられています。

かく
指導とか、教えるとかっていうのって、基本的にむいてないので、、、一緒になんかしてるっていうかね。難しいですけどね。この前も、学校にいって、少し見てたんですけどね。もちろん、ここでも、家具の学校というのか、塾みたいなものをつくるけど、ぼくは指導しませんよ、っていうかね。指導は、それぞれの専門家がいるから、そういうひとを指導者として迎えたいと想っています。ぼくは、用務員のおじさんというか、、、笑 専門家のひとが居ないときにでも、 まんべんなく、 最低限、色々なことに対する知識と情報があるから、補えるかなァ、とは想っているので。ホントね、ひとに教えるのは、ダメなんですよ。教える前にやっちゃうから。見てられないっていうか、、、

きただ
工房をされていると、若いひとたちが、相談に来られたりしませんか。

かく
来てましたね。よく、来た時期がありましたね。木工家になりたいんです、って。でも、不思議なもんでね、ある時から、来なくなりましたね。苦笑 2000年頃って、ホームページをもっていた木工家自体、少なかったからね。ちょうど、情報を探すのに、webを使おうかという時代ですよね。ウェブマーケティングのいっかんで、手作り家具っていうような、キーワードをいれたときに上位にくるような、検索エンジン対策とかもしてましたからね。きっと、トップに出てきて、住んでいる場所から近かったら、訪ねてみようかってなったんでしょうね。

そんな頃は、一週間に、ひとりくらいは、来てたかなァ。来たら、半日でも、大変やでー、みたいな話しをしてたんですけど、、、でもね、ある時に、この話ししても、しゃーないな、と想って。というのは、自分の話しをして、始めたやつがいるわけでもなく、始めたっていう連絡がくるわけでもなく、、、ようわね、うちにこんでも、やる奴は、やるわけですよね。ぼくらでも、そうだったわけで。それからは、来ても、あー、やりィや、みたいな。あまり、時間使うのも面倒くさいしね。きっと、それが、ひとが訪ねてこなくなった、直接的な原因かな。笑


きただ
訪ねてくるのは、やはり、学生が多いのでしょうか。

かく
学生よりも、脱サラのひとですよね。面白そうじゃないですか。家具をつくる仕事って。ホントに面白いんですけど、、、面白い以上に大変なことも、山のようにあるんですけどね。でも、どんな仕事をしようと、気持ちのもちようだと想うんですよ。自分の仕事に向かってクリエイトできなかったら、どんな仕事をしてもあかんと想うんですけどね。今もですけど、特に、天然素材の家とかが、流行った時期があって。自然素材、とかね。今の仕事がしんどいからやってみたい、とか。家具屋に、勤めてみたけど、フラッシュばっかりで、面白くない、とかね。昔も今も、それほど、状況は変わってないので、木工家になりたいひとって、相変わらず、いるはずなんですけどね。もしかしたら、もっと、優しいひとのところにいってるのかもしれませんね、、、苦笑

きただ
家具をつくりたいひとの数と、家具を消費するひとの数って、比例しないですよね。

かく
別に、家具は、贅沢品ではないんですけどね。でも、今は、ニトリとか、イケアとか、安い家具がいくらでもあるわけですよね。手間をかけてつくったものは、贅沢じゃないとは想うんですけど、、、そもそも、家具って、例えば、テーブルって、使い捨てるものじゃないでしょう? ということは、ある程度、吟味して、本来であれば、そんなに簡単に買って、そんなに簡単に捨てるものじゃないと想うんですよね。きっと、家具に限らず、他のものでも、同じだと想うんですけど、、、そうなってくると、費用対効果ですよね。何年、使い続けるのか、というのを考えたら、そんなに高くはないはずなんですけど、、、でも、初期投資として、始めに、出す金額が高いから、手が出なかったりするわけですよね。そう考えたら、贅沢品ではなくて、必要なもののはずなんだけどね。

きただ
根本的な、仕組みづくりが、必要だと。

かく
そうですね。いってしまえばね、ぼくらみたいに、実際に手を動かして家具をつくるにんげんって、そんなにいらないんですよね。それよりは、仕組みとして家具をつくるというかね。きちんとした技術を使って、きちんとした材料で、きちんとしたモノをつくって、ちょっと頑張ったら買える値段をつけて売るっていうのが正しいというかね。

少し前に、北欧家具ブームってありましたよね。デンマークの、P・P・モグラーとかでも、仕組みのなかで、つくられているわけですよ。手づくり品のように見せている、マス・プロダクト。国内のマーケットだけに向けて、家具をつくっていこうと想うと、ロットも少ないし、需要が少なすぎて。でも、相変わらず、決まった囲いのなかで釣りをしているというのかね、、、そもそも、家電とかでもそうですけど、次々、商品が投入されている状況って、おかしな話しで。毎年、家具の見本市をやって、毎年、新商品がでたりしてね。家具って、そんなに新商品いらんやん、って。本来、そんなスパンで、消費されるものじゃないはずなのになァ、って。


きただ
サイクルを早めることで、高度経済成長期があったわけですよね。

かく
日本の一般家庭にダイニングテーブルが入りだしたのは、オリンピックですよね。公団ができるまでは、みんな、ちゃぶ台でご飯を食べていたわけです。それを考えてみたら、50年くらいのことで。そのあいだに、景気が、ひゅ、っとあがってバブルがあって、核家族化が進んで。10にんで囲んでいたのが、いまや、ふたりで、テーブルを囲う時代ですからね。そうしたら、全体の量も増えるわけです。でも、いまや、人口が減ってるわけですよ。そうなってきたら、もう、捨ててもらうしかないわけじゃないですか。

一般的に、もっとも、売れる家具は、椅子だと想うんですけど、、、残念なことに、日本人と椅子の関係というのは、あまりにも浅すぎるわけですよね。遡っても、文明開化からじゃないですか。まァ、それまでにも、腰掛けとかは使ってたわけですけど、、、一般的に、普段から椅子に座るということについていえば、本当に、最近のことなんですよね。もう、これは絶対量の兼ね合いで、難しいとは想うけれど、まずは、小学校とかに並んでいる椅子から、変えていかないといけないですよね。根本的に、座りにくいでしょう。ただでさえ、正座をしなくなって、日本人の背筋がだんだんと弱ってしまっているのに、、、ますます、きちんと、座れなくなっていくと、想うんですよ。


きただ
日本は、立地的に、ユニークな土地だと想います。

かく
良くも悪くも、溜まりというのか、、、外からの、影響を受けやすいんでしょうね。それは、すでに、もう、ここにあるじゃんかァ、というかね。それって、北欧家具でしょ、みたいな、、、もちろん、進化していれば良いんですよ。なにかしらの形をもって。そうじゃなくて、劣化しているわけじゃないですか。コピーは、あくまで劣化ですよね。自己解釈をもって、なにかを付加して、次の形に向かうのであれば判るんですけど、、、そこで見た形を、トレースもできてないというのは、文化的な、解釈もできてないわけですよね。それで、それらしいものをつくって満足しているのは、もったいないなァ、と想いますけどね。

きただ
ひとから、求められるって、すごいことだと想います。

かく
自分のしたいことをしているうちは、ダメな気はしますけどね。自分の欲望を満たしたい、みたいな仕事の仕方は、続かないような気はします。ひとから求められることを考えながら、動いていると、意外と、やりたいことが、山のようにでてくるというか、、、でも、肩のちからを抜くためには、一度、なにがなんでも、我欲を満たすためのことをしないといけないわけです。色々、いわれるし、無茶もするし、ムリもするけど、、、とにかく、我欲を突き通して、欲を満たさないと、ちからが抜けないと想うんですよ。背負っている荷物が軽くなると、やっと、世の中のサイクルが見えてきたりしてね。

きただ
色々な物事には、正攻法というのか、仕組みってありますよね。

かく
野球選手になりたいのに、サッカーの練習ばっかりしていても仕方がないわけで、、、最終的には、バッターボックスに立って、バットを振らないといけないわけですよ。覚悟は、絶対、作風にでると想っていて。モノは、品を語るじゃないですか。成金で、ぽーん、と簡単にお金を出すひとは、たまにでるけれど、それは、絶対に続かないから。相対的に、判断ができるひとに対しては、腹の括り具合というのか、、、きちんとした覚悟がないと、振り向いてもらえないと想うんですよね。

きただ
賀來さんが木工家として、バッターボックスに立った経緯を教えてください。

かく
ムダなものじゃなくて、実用性のあるものというか、何か意味のあるものをデザインしたいとは、ずっと想っていて。それが、ようやく、木に結びついたのは、もう少し、後になるんですけどね。素材としては、鉄でも、ガラスでも良かったんでしょうけど、、、なんかね、上手くいえないんですけど、、、木っていうものが、自分の人生の流れのなかで、いちばん、相性が良かったというかね。よく、小さい頃から、木工が好きなこどもだったんですか、って訊かれるんですけど、それについては、いつも、ノー、と答えていて。木って、特に、小さい頃って、ノコギリとか使っても真っすぐ切れないじゃないですか。そうすると、ちゃんとつくれないわけですよね。ちゃんとつくれないのが、昔から、イヤなんですよ。だから、木でつくるより、プラモつくってる方が良かったかな、って。

きただ
木に興味が向かった、きっかけは。

かく
学校に、いってるときも、試作つくるときって、木を使う機会は多かって。でも、ハンズで売ってる木の部品を買ってきて、削るくらいのレベルだから、その頃は、なんでも良かったのかな、、、でも、ぼくに、木のおもちゃの良さを教えてくれた、師匠にあたるひとが、木で新しいおもちゃの在り方というのをつくろうとしているひとで、、、その頃から、意識して、木に触れるようには、なってたんですけどね。

きただ
卒業後は、東京で、トイ・デザインの仕事をされてたんですよね。

かく
会社に勤めていると、デザイナーっていっても、ディレクションばかりで、自分で、手を動かす機会ってほとんどないんですよね。それで、やっぱり、自分で手を動かしたいなァ、となったときに、師匠から、東北のほうの森林組合と一緒に、工房をつくって、そこで積み木をつくるから、そこに、ひとり、教えたやつを置いときたいんだけどいくか、っていう話しがあって、、、で、会社に対しても、色々、想うところのある時期だったから、行きます、って返事して、行ったんです。そのときに、はじめて本格的にというか、、、製材所の一番、端っこで木を切る仕事をしてたんですよ。

それで、ある日、近くにある建具屋さんが倒産したっていうので、機械一式、引き上げてきたっていって、倉庫にもってきはったんですけど、何の予備知識もなく触れないんですよね。本来は、ぼくのことを指導してくれるひとが、いるはずだったんですけど、アル中かなんかのオッサンで、ぼくが来る前に、逃げてしまってね。苦笑 結局、木工の基礎もないままで機械を見せられて、これは、あかんなァ、と想って。こんなんあったって、なんもないというか、、、技術がなかったらあかんなァ、と想って。そのときに、きちんと、職業技術校いかなあかんなァ、、、と。で、師匠にも、このまま、ここにおって中間管理職みたいな仕事をするか、お前がしたいように仕事するか選ばなあかんっていわれて。で、それが、29歳の時ですね。


きただ
いよいよ、木工家への道を踏み出したわけですね。

かく
技術校に入って、ようやく、素材を料理する方法を覚えたわけですよね。そこで、基本的なことは手に入ったんですけど、まァ、そこからが、長いし、やらなあかんことが山のようにあるわけなんですけどね。イロハのイというか、、、色々なことがすべて結びついたんですよね。ようやく、モノをつくっていくっていう姿勢になったというかね。で、うちの父親が材木屋をやってるんですけど、その敷地内で、はじめたんですよ。場所を、貸してもらって。なんていうのか、、、他のみんなは、場所も、お金をだして借りて、日銭かせいで、がんばってるわけじゃないですか。そのことを考えると、、、まァ、ぬるい環境ですよね。自分が、ひとからもらってるっていうことがあると、ひとから奪おうって気が起らないんですよね。それやから、なんか、還元せなあかんなァ、というのもあって、同業者を繋げていくっていうことを、していくようになったのかもしれませんね。

きただ
その活動が、家具町ラボ にも繋がってくるわけですね。

かく
そうですね。家具町ラボがきっかけで、ぼくは、ここに来ることになったわけですからね。家具団地組合っていうのがあって、その組合が、家具町ラボが入っているマンションのオーナーさんなんですよね。で、一階が貸店舗になっていて。ただ、最近だと、空き店舗も増えていて、借りてもつかないまま、ずっと、ほったらかしになっているような場所になってて、、、ここって、もともと、工場の町だったんですよ。家具の。それが、段々と産地から販売に変わって、今では、ずいぶんと、淋しい感じになってしまったんですけど。まァ、モノをつくっていたということを忘れないような、家具作家のギャラリーをつくろうと。それをやってくれるひとはおらへんか、って探されているときに、まァ、色々なひとの縁があって、ぼくのところに話しがきて、って感じですね。

きただ
家具町ラボの、展望はありますか。

かく
色々なひとの、発表の場になれば良いなァ、というかね。バスで来ないといけないような不便な場所だから、本当に少しずつではあるんですけど、、、面白そうなことをやってたら、これまで家具団地に来たことがないひとが、来てくれたりするわけですよね。そんなふうにして、出逢ったひとたちとの環が広がっていっても面白いしね。また、地元のひとに使ってもらっても良いなァ、と想ってます。

まァ、ラボなんで。実験の場というか、、、これまでは、ライフワークとしてやってたこととかを、一度、アウトプットするというかね。家具町ラボの空間をデザインしてくれたひとが、大阪のメリヤス会館の地下にオフィスを構えている、大工真司くんという、ぼくらの仲間のデザイナーなんですけど、すごく良い空間にしてくれたんですよ。モノを飾ったら、ものすごく、格好良いんですよね。そういう場所で、想いおもいの形で、実験的に、やってもらえたら良いなァ、と。今回、展示をさせてもらう、yamamachi galleryも、近い感覚だとは想うんですけどね。


きただ
家具町ラボは、家具に限定した、展示というわけではないんですよね。

かく
家具っていうと、、、個人的には、アートも家具だと想っていて、家にあるものはみんな、家具っていうかね。インテリア、イコール、家具と想っているから、そういう拡大解釈をしちゃってて、、、まァ、とにかく、ひとりでも、この町に来てくれるひとが増えたら良いなァ、とは想ってます。もちろん、家具団地組合としたら、普通に、家具が売れたら、良いんでしょうけど、、、きっと、それだけじゃあ、町ってダメでしょう? だって、面白くないじゃないですか。ただただ、家具がならんでいるような町じゃ。家具屋と、飲み屋しかないみたいな。笑 なので、少しでも、ひとに興味をもってもらえるような、場をつくっていきたいと想ってますね。

きただ
最後に、今回の、 yamamachi gallery での「つくれる家具展」について、ひとこと、お願いします。

かく
今回は、ホームセンターで買える、杉のヌキ板を使った椅子の展示と、ワークショップをさせていただきます。原価だけだと、一脚つくるのに、700円くらいかな。ホームセンターというのは、本当に、日本中どこにでもあるので、有事の際にも、きっと、今回の経験が、生きてくるんじゃないかと想っています。それに、本当に、簡単なんですよ。今回、ワークショップでもつくる椅子の仕組みを、オープンソースにして、自由に解放しながら、色々なひとに、どんどん使ってもらいたいなァ、と考えてて。ワークショップは、完成までに、手先の器用なひとだと、120分くらいかな。でも、基本的には、参加していただいたひとが納得いくまで、のんびり、やりたいなァ、と想っています。


賀來寿史(kaku hisashi)

1968年生まれ。神奈川県立平塚高等職業技術校卒業。東京で、トイ・デザインの仕事に従事した後、和久洋三氏に師事。1999年より、木の工房KAKUを主宰。制作とともに、木工家同士のネットワーク構築のため、木の仕事の会などの運営にも携わる。現在は、大阪府枚方市の家具団地内にある、家具町工房のチーフ。また、つくるひとと、つかうひとが、一緒になって考えるギャラリー、家具町ラボの、キュレーションも手がける。


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